Masukお父様のそんな声を転がりながら聞く。お父様がそう怒鳴りながら私に近付く。しゃがみ込んだお父様は私に小さな声で囁く。
「美緒」
そう言われて私は少し驚く。その声に優しさが滲んでいたから。
「よく聞け」
そう言う声は低く、雨音にかき消されそうな程で、恐らくは私にしか聞こえていない、そんな声だ。
「お前を療養所に送る。そこで大人しくしていろ。騒がず、逃げる事も考えずに、誰とも連絡を取るな」
私は赦しを乞おうと言葉を口にしようとして、それでもそれが言い訳にしか聞こえないだろう事を思うと言葉が出ない。お父様は私の腕を掴む。その力はとてつもなく強い。
「良いから黙って聞け」
お父様が私の腕を掴み上げ、私の瞳を見つめて言う。
「三カ月だ」
三カ月……? お父様が続ける。
「たった三カ月、大人しく療養所に居るんだ。三カ月も経てば、世間の騒ぎが落ち着くだろう。そうしたら迎えに行く」
(世間の騒ぎが落ち着いたら……? 三カ月後に迎えに……? 何を言っているの……?)
(お父様は私を捨てた訳じゃないって事……?)
今の私には分からなかった。
(私を足蹴にして、縋る私の手を払ったのに……?)
それでも私を見つめるお父様の瞳には何か、温かいものを感じる。熱い涙が込み上げて来て私の瞳を歪ませていく……三カ月経てば、きっとお父様は迎えに来てくれる、そう思えた私は頷く。それだけできっと伝わると思ったから。ほんのわずかな時間、お父様は私を見つめ、そして私の腕を離す。
「連れて行け」
数人の男に囲まれる。視界の中で義妹の瑛理香と義母の華瑛さんがニタニタと笑っているのが見える。お父様が私に背を向けた瞬間に二人ともニヤ付いていた顔をサッと変えて、眉間に皺を寄せる。お父様の背中に、まるで労わるように手を当てた華瑛さんが振り返る。その顔にいやらしい笑みを浮かべている。口角が上がり、私を蔑むように見て、お父様と共にそのままお屋敷の中に入って行く。私だけが数人の男に立ち上がらせられていた。お屋敷に入って行くお父様の背中が扉の向こうに消えた瞬間だった。瑛理香が私に向かい、少し首を傾げ、不気味に微笑み、片手を上げて振って見せたのだ。その口が動く。
~さ、よ、な、ら、え、い、え、ん、に~
ハッキリとそう口を動かした。
「さよなら、永遠に」
(永遠に……?)
水を吸ったワンピースが重く冷たい。血の気が引いて行くのが分かる。
(おかしいわ……これは絶対におかしい)
お父様はハッキリと三カ月と言ったのだ。たった三カ月だと。もしそれが本当なら、何故、瑛理香は私に“永遠に”などと言うのだろう。そこまで考えて私はハッとする。
(これは……罠だわ……瑛理香も華瑛さんも私を療養所から出す気は無い……)
そう思った瞬間、私の背筋が凍る。ある可能性について、私自身が気付いたからだ。
(お父様は華瑛さんや瑛理香の計画を知らない……?)
(だとするならば、私は今、この場でお父様に真実を伝えなければ!)
そう思い、私は口を開きかける。
「お父様―――」
その口が私を立たせていた誰かによって塞がれる。
「んんーーーー!」
言葉は口で覆われた何かでかき消され、発せられる筈だった声は塞がれた何かによってくぐもってしまう。体全部を使って私は抵抗した。けれど私を囲んでいるのは数人の男たちだ。力で敵う筈が無かった。
必死にもがき、息を吸い込む。その瞬間、喉の奥と鼻の奥に鋭い刺激を感じる。
(これは……何……?)
そう思った時にはもう遅かった。私の鼻腔を満たす甘ったるい匂い、その匂いを感じた時には私は意識を失っていた。
◇◇◇
「……生きてるのか?」
そんな声が聞こえて来る。
「あぁ、大丈夫だ。バイタルは安定している」
誰かのそういう声が聞こえる。目を開ける。真っ白な天井、鼻をつく薬品の匂い。それだけでここがどこかは大体の察しはつく。私の顔を覗き込む数人の男。皆、緑色の帽子を被って、同色のマスク姿、そして同色の術着。私は咄嗟に体を動かそうと試みる。
ガシャン!!
私の体は固定されていて、動かす事が出来ない。ここから何が起こるのかを予期して、涙が溢れて来る。
「止めて……お願い……私の子、なの……」
私がそう小さな声で呟くように言うと、私のその口を覆うように透明なマスクが被せられる。麻酔薬が呼吸する度に入って来る。遠のく意識の中で耳の奥に聞こえて来る会話……。
「奥様からのご指示だ。“アレ”はきちんと残しておけ。後で使うそうだ」
アレと呼ばれた瞬間、心臓を鷲掴みにされたように、心臓が痛む。朦朧とした意識の中で私は必死に言う。
「私の子、に……何を、する……つもり、なの……」
本当は自分でも分かっている。この後に起こる事、それが私の身体と魂を引き裂く行為だという事も。
「止め、て……お願い……! お願い、します……私の、子なの……」
意識がどんどん白濁して行く中で無情にもカチャカチャという金属音だけはきちんと聞こえていた。そして私の懇願には誰も答えない。熱い涙が目から流れて行く。
もう体に力も入らない。
(お父様……お父様は三か月後には迎えに来るって……そう言っていたのに……)
白濁して行く私の視界の中で手術用のマスクと帽子姿の人が動いているのが分かる。
(お父様がこの事を知ったら……きっと、お怒りになる筈だわ……)
私は最後の力を振り絞り、目を見開く。
「お父様が知ったら ―― あなたたちを許さない……!」
お母様に離れを使うアイデアは却下されてしまった。あの離れは確かに手を入れてない。あの離れにはお姉様が一人で住んでいた。本邸に居るだけで目障りだったお姉様を離れに追いやった時はスッキリしたけれど。お姉様が居なくなった今、あの離れは誰も住んでいない廃墟のようになるのが目に見えている。だからこそ、一ノ瀬家の唯一の令嬢である私が使ってあげようと思ったのに。気持ちを切り替える為に本邸でのお茶会をどこでやるか、考える。やっぱりテラスかしら……そう考えていると、お屋敷に誰かが入って来た。入って来たのは翔太だった。(そうだわ、翔太にも相談しよう)そう思った私は入って来た翔太に声を掛ける。「翔太」声を掛けると翔太が私を見て、微笑む……いえ、私を見て眉を顰めた。「あぁ、瑛理香」そう言って辺りをキョロキョロ見回す。「お義父さんは?」そう聞かれて私は言う。「知らないわ、書斎にでも居るんじゃない?」そう言うと翔太はそのまま私を素通りして行こうとする。「待ってよ」そう声を掛ける。翔太は振り向き、聞く。「何? 俺、急いでるんだけど」そう言いながら翔太は手に持っているスマホに目をやる。「明日にでもお茶会を開こうと思うの」そう言うと翔太は眉間に皺を寄せて言う。「あぁ、良いんじゃない」素っ気ない返事にイラっとする。「お姉様の使っていた離れを使おうと思ったんだけど、お母様がダメだって」そう言うと翔太が私を見る。信じられないものを見るような目付きだった。「離れ? あの離れ?」翔太はそう言ってはなれのある方を指差す。「えぇ、そうよ。でもお母様がダメだって」翔太は大袈裟に大きく溜息をついて、言う。「瑛理香、本気かよ。あの離れは美緒が使ってたんだ、縁起でも無いだろ」そう言われて私は自分の思い付いたアイデアを貶されて更にイラっとする。「だって! 今はもう誰も使ってないのよ?」そう言うと翔太は肩をすくめて言う。「お前のそういうとこ、嫌いじゃないけどさ。今はまだ美緒が死んでからそれ程、時間も経ってないんだし、大人しくしてる方が良いんじゃないか? 評判にも関わって来る話だろ?」そう言いながら翔太はまたスマホを見て、私に言う。「とにかく今は俺、忙しいんだよ。九条グループの株価がまた下がってるんだ。ここは俺たちが九条を出し抜けるかどうかの大事なタイミング
「私はそろそろ本邸へ戻るわね」真中芙美がそう言って私の執務室を出て行く。真中芙美が耳に付けた盗聴器には和久井と華瑛の楽し気な会話が聞こえているらしい。私は離れの執務室から窓の外を見る。生い茂った緑、手入れの行き届いていない、庭。この離れを囲む木々や雑草の手入れは許されていなかった。全ては華瑛の指示だ。離れではあるものの、ここだけで独立して生活自体は出来るよう、設計されている。香織様がここへ来てさえいれば、本邸で過ごされる事がなければ、或いは、香織様をお守り出来たかもしれなかった……?いや、違うな。あの華瑛と香織様が出会ってしまった事……それが全ての間違いだったのだ。私は七倉からの指示を受けて、香織様に付いてこの一ノ瀬家へ入った。一ノ瀬恭介との結婚は、七倉が渋ったのだ。既に見合いを済ませていて、婚約もしている男が懸想して見合いでの縁談を破談にし、アプローチをして来たのだ。一見、ロマンチックに見える、そんな話だが、実際には違う。最初にした約束を反故に出来る、そういう男なのだという判断を七倉がするのも当然だった。だが、香織様が絆されてしまった。一ノ瀬家の縁談の相手が三崎家だという事を香織様は後になって知ったのだ。だからこそ、一ノ瀬恭介からの申し入れを何度も断り、三崎家の華瑛と結婚するよう、進言もなさったのだ。それを強行しておいて、あの男は……香織様の妊娠中に……そう思うと腸が煮えくり返る。その事を知った香織様は私に託したのだ。いつか、その時が来たら、その時は。そんな決意を持って遺言状を書いた香織様の胸中を思うとやりきれない。◇◇◇通りかかったメイドを呼び止める。「ねぇ、ちょっとあなた」呼び止めたメイドは私を見て、頭を少し下げる。(この人、この間、紹介状で入って来た人ね)そう思いながら私は言う。「お茶会を開くわ……そうね、明日! 明日にするわ!」そう言うとそのメイドは少し微笑み、頷く。「かしこまりました。旦那様や奥様には?」そう聞かれてイラっとする。「お母様は好きにしろと仰ったわ、だから良いの!」そう言いながら私はパッとアイデアを思い付く。「そうだわ! あの離れを使いましょう!」◇◇◇温室に咲くエンジェルストランペットを愛でる。あの小部屋にあるのはピンク色だけれど、ここにあるのは毒々しい青い色のもの。もう少し咲い
「ねぇ、お母様、聞いている?」そう聞いてもお母様は上の空だ。最近の九条家の株価の下落のニュース、そして一ノ瀬家の癌だった美緒の抹殺。全てが上手く回っているのに、私は何故か、落ち着かなかった。屋敷の中がざわついているような、世間の目が何故か私の思っているように動いていないような、そんな漠然とした不安感。最初は私自身が妊娠しているから、そんなふうに不安感が押し寄せるのだろうと自分自身に言い聞かせていたけれど。お姉様が死んで、やっと私の天下が来る筈だったのに、社交界は私の存在など見向きもせず、私が妊娠している事を理由にお茶会にも呼ばれない。気晴らしに買い物に行っても晴れない気分。婚約者の翔太も九条家の落ちて行く評判にばかり気を向けていて、私に見向きもしない。(もっと、妊婦は労わって貰える筈でしょう?)だから私は通りかかったお母様に声を掛けたのだ。漠然とした不安感を払拭して欲しくて。それなのに。「あなたの好きなようになさい」お母様はそう言って、自分の背後に付いて来ている、新しい使用人の和久井に視線をやると、和久井に向かって言う。「庭園の温室に行くわ、付いていらっしゃい」そう言って和久井を連れて行ってしまう。日々、大きくなって行くお腹。普通なら胎動を感じて、感動したり、喜び合ったりする人たちが、私の事も新しい命の事も全く、視界に入っていない。徐々に動きを、そして生活を制限されて行く、閉塞感に私は苛ついているというのに!お父様は書斎からほぼ出て来ない。お姉様の死がそれ程、ショックだったというのだろうか。お父様ご自身がお姉様を遠ざけたというのに。最近はお父様も体調を崩している気がしている。顔色が悪いし、食事だってそれ程、召し上がらない。外へ出る事も減ったし、及川に聞けば、書斎の奥にある仮眠室で眠っていると言われる事が増えた気がする。お姉様が居た時はこんなにバラバラじゃなかったのに。私は自分のスマホを操作しながら考える。(そうよ、呼ばれないなら呼べば良いじゃない)お母様だって好きにしろと言ったんだから、好きにやるわ。◇◇◇仮眠室に入ったは良いものの、小さな簡易ベッドに横になっても、頭痛は消えない。そんな事は良く分かっている。ベッドのサイドボードにある写真を手に取る。香織、そして美緒。私の美しい妻と美しい娘。私はどうして彼女たちをちゃんと
「暁斗様、このような情報が入っております」そう言われて差し出されたタブレットを見ると、そこには四季凪の文字。「僕の家門に加わった人間が……?」坂崎に聞くと坂崎が言う。「九条征哉でしょう」そう言われて苦笑する。我が四季凪家はかなり昔に名前だけを残して、その家の人間は絶えたと言われて来た。だが、実際には遠縁ではあるものの、直系として今は僕・四季凪暁斗が居るが、それは公には知られていない。あの九条征哉であっても、だ。九条家は四季凪の家の名跡を守る為に四季凪という名跡を保護・管理している、と表向きはそうなっている。それは僕自身も把握している事だ。四季凪家は力が弱まってしまい、僕は直系であるにも関わらず、四季凪の名を欲しがる者たちから逃げ延びなければならなかった。それだけ四季凪の名を持つ事は、政財界にとっても、世間的にとってもかなり大きな影響力を持つ事と同義だった。だから僕は四季凪を名乗らず、現在は凪野と名乗っている。そんな四季凪に追加された名前。四季凪美織……聞くからに美しい女性である事が窺える名前だ。急に追加されたのだから、九条征哉によるものだろう。九条征哉は覇王だ。今のこの世界においては彼よりも力が上の人物は居ないだろう。「暁斗様、いかがいたしましょう」坂崎にそう聞かれて俺は考える。「……会ってみたいな、その四季凪美織に」◇◇◇面白いように話が進んでいた。あの盤石だった九条グループの株価が落ちてきている。たった一つの噂を流したに過ぎないのに、だ。絶対王者の九条征哉が体調の不調を抱えている。ただそれだけの噂でこんなにも脆くも崩れ去るなんて!最初はただ家同士が決めた結婚だと思っていた。いわゆる政略結婚だ。相手は一ノ瀬家の長女。見た目も地味で面白味の無い女。一緒に居ても何の刺激も無く、日々、淡々と過ぎて行くだけの女。退屈凌ぎに俺は美緒に気付かれないように遊び回っていた。そんな時に俺に声を掛けて来たのは一ノ瀬家の次女の瑛理香だった。瑛理香は派手な見た目を上手く押し隠し、一ノ瀬家に馴染んでいたが、仮にも義理の姉の婚約者である俺に声を掛けて来たのだから、面白そうだと思った。聞けば瑛理香は一ノ瀬の正当な血を受け継いでいるそうだ。だから俺にとっては美緒だろうが、瑛理香だろうが、どっちでも良かった。高橋家は新興の財閥。最近になっ
「青の鎖……」私はそう呟いてその錠剤の画像を見る。言葉を聞くだけで、何か禍々しさを感じる。「モルフォ・シアニドは片頭痛の錠剤であるロイゼノンに少量ずつ混ぜられていた」九条征哉にそう言われて私は聞く。「少量ずつ?」そう聞くと九条征哉が頷く。「モルフォ・シアニドは毒性が強く、しかもモルフォ・シアニドで死に至ると、その特徴が体に出やすい。つまり」九条征哉がそこで言葉を区切る。「証拠が残りやすいって事ね」私がそう言うと九条征哉が微笑む。「そうだ」九条征哉はそう言うと私の腰を抱く。「この毒は体温を下げながら静かに神経系を麻痺させていく合成毒だ。飲むたびに身体の自由を奪い、最終的には心不全に見せかけて命を絶つ。華瑛は一ノ瀬恭介の自由を“青の鎖”で縛り上げ、病死に見せかけて完全に自分の手中に収めるつもりだったんだろう」お父様も華瑛の殺したい人間のリストに載っている……。本当に何を考えているんだろう。「華瑛は何を考えているのかしら。今更一ノ瀬家の財産云々は関係無さそうだし……」私が独り言のようによう呟くと、九条征哉がまたタブレットを操作し、私に見せてくれる。「華瑛と香織は学生時代、親友だったらしい」目を見開く。タブレットには若かりし頃の華瑛とお母様が並んで笑って写真におさまっている。「親友同士、だったの……?」お母様と華瑛が友達だった事は何となく予想はしていたけれど、親友同士だったなんて、聞いた事が無かった。その時、遠い記憶が呼び起こされる。あれは、確か……そうだ、華瑛が結婚した夫を不慮の事故で亡くした後の葬儀の時。お母様と華瑛が抱き合い、お母様が華瑛を慰めている場面……私はそれを見ながら幼いながらもお母様の大切な友達なのだと思っていた。だから私の中でその葬儀の時の華瑛と、一ノ瀬家に入って来た時の華瑛とが繋がらなかった……?「華瑛自身が何を考えていて、何を目的として動いているのかは、今のところ、華瑛本人にしか分からないだろう」九条征哉の言う通りだ。「だが色々な事について可能性を全て考慮に入れて、不測の事態にも備えなければならない」そう言って九条征哉は私の腰を引き寄せる。「相手は毒殺も爆殺もして来るような奴らだからな」そう言われて私は九条征哉を見上げて聞く。「そういえば、私が収容されていたあの施設の爆破はやっぱり、華瑛が
部屋に和久井を入れて、私は振り返る。和久井はその端正な顔立ちにほんの少しの微笑みを浮かべて私の言葉を待っている。私は和久井との距離を詰める。和久井は微笑みを崩さずにただ立っている。(感情の読めない子ね)そう思いながら私は言う。「あなたにお願いがあるの」そう言うと和久井が聞く。「はい、奥様」私は和久井の胸板に手を這わせてその逞しい胸板に触れる。◇◇◇報告を聞き、また笑う。(良い男を派遣し過ぎたか……)正直、華瑛が若い男に興味があるとは思っていなかった。とはいえ、屋敷の中で家人が知らない公然の秘密として使用人を愛人にしているのだから、それは無い話では無いなと思い直す。和久井はそんなものを処理出来ない程、無能では無いし、必要であれば、華瑛と寝るぐらいは何でも無いだろうが。俺は溜息をついて、椅子に深く座る。華瑛という女が考えている事が本当に良く分からない。俺の手元のタブレットには華瑛と香織の学生時代の調書が上がって来ている。注目したのは華瑛と香織が親友であったという一文だ。親友であったなら、そこに嫉妬の感情は発生するだろうか。いや、親友だからこそ、自分が好いている相手が親友を好きになってしまったら、それこそ感情が反転するのかもしれない。誰かを好きになった時、その想いが重ければ重い程、その反転具合は大きいだろう。だから香織を毒殺した……?どうにも解せない。何かを見落としているような気がする。俺は椅子から立ち上がり、美織の部屋へ行く。情報は共有した方が良いだろう。腕時計をチラッと見る。そろそろ華瑛が一ノ瀬恭介に飲ませているという錠剤の分析結果も上がって来るだろう。◇◇◇身体が時と共に癒えて行くのが分かる。それ程までに私はこのお屋敷の中で甘やかされていた。何をするにでも上原さんが先回りをしてくれるし、至れり尽くせりだ。「美織」そう呼びながら部屋に入って来る九条征哉は私がこの屋敷に意を決して入って来た時とは、既に全く別の人物と言って良い程、私に甘い顔をするようになっている。ソファーに座っていた私が立ち上がると、九条征哉はそのままソファーに座り、私の手を引き、ソファーに座らせる。「どうしたの?」そう聞くと九条征哉が笑っている。「面白い事をたくさん、聞き付けたぞ」そう言いながら微笑む九条征哉は私の手を取り、言う。「華瑛が動き出し
及川との通話を切る。軽く溜息をつき、私は私の夫の元へ向かう。入るなと命じられている部屋に近付く。中からは嗚咽が聞こえる。私は静かに扉を開け、中に入る。部屋に入って来た私を見て、私の夫は視線を伏せる。私は夫に近付き、その肩を抱く。「火事は事故だったのよ……」慈愛を込めた声を装い、そう言う。「あの子の葬儀はもう手配しました。だから安心して、あなた」肩を抱いた私の手を握る、私の夫は泣き崩れている。「すまん……」夫はそう呟くように言って、肩を揺らす。私はそんな可哀想な夫を見つめながら、ほんの少し微笑む。部屋を出て、扉を閉めて。笑みが零れるのを我慢出来なかった。誰にも聞こえない声で
目の前で。オレンジの炎が燃え盛っている。夜空に映える炎のオレンジ色はその触手を天に伸ばし、更に炎自身が燃えるものを探している。炎の触手の先からは黒煙が立ち上り、夜空の星を覆い隠す。私を閉じ込めて、絶望の淵へ追いやった療養所という“檻”は、今はもう燃えながら歪み、崩れ落ち、灰と化して行く。「お嬢様」及川が私の横に立つ。「今この瞬間からお嬢様は灰になりました。もう一ノ瀬家の令嬢ではございません」全ては燃えて灰になった……私と一ノ瀬家の縁も、そして未練も全て燃えて灰になったのだ。思い出されるのは幼い頃の記憶――お母様が生きていた頃は……私もお父様に確実に愛されていた。お母様とお父様
及川は私を見つめ、頷く。「お嬢様、生き延びてください。それもあなたのお母様の最後の願いなのですから」そう言われて私はポロポロ落ちる涙を拭い、聞く。「私は、何をすれば?」及川が簡潔に言う。「時間がありません。今すぐにお嬢様のお召しになっている服とネックレスを外して頂けますか」及川はそう言って自分の足元にある遺体袋を見る。「この遺体にお嬢様の服を着せ、ネックレスをつけさせます。そうすればお嬢様は死んだ事になり、万が一にも生きている事が知られたとしても、その時にはお嬢様はここから遠い地へ離れている事でしょう」及川は私に紙袋を渡す。「着替えは中に」その紙袋を受け取る。漆黒のワン
目が覚める……。チカチカと視界が霞む。寝かされている場所は……色味の無い部屋……? (ここは……どこ……?)(昨日のあれは……夢だった……?)微かな希望だった。昨日の夜の事は私を襲った悪夢、そう思いたかった。けれど。







